【イベントレポート】TeacherAideDay2020を振り返って

イベントレポート

みなさん、どうもtsuyoshiです。

 

2020年も年の瀬ですが、昨日はTeacherAideDay2020に参加していました。

Redirecting...

 

今回のイベントは「参加費は “知” で払う」と宣言したので、宣言通り、TeacherAideDay2020の様子をイベントレポートにまとめました。

まずそれぞれの登壇者の講演をまとめて、その上で講演の内容に【tsuyoshi’s コメント】として講演の内容を更に深めるための視点や別の文脈からの講演の解釈について書いています。

TeacherAideDay2020の内容が濃かったこともあってこのイベントレポートもかなり長くなってしまっていますが、このイベントレポートがみなさんの思考を助けることができれば幸いです。

それでは、始めていきます!!

 

  1. 人と向き合う働き方改革-澤田真由美さん(先生の幸せ研究所)-
    1. ワークライフバランスについて考えたことがきっかけ
    2. 働き方改革の目的は「未来を見据えて教育の質を上げること」
    3. 3つの「助」を大切に
    4. 教員と保護者のコミュニケーションの在り方【tsuyoshi’s コメント】
  2. 仮説・検証の継続を-宮澤悠維さん(宮澤悠維教育研究所)-
    1. 『学校の先生たちが、もう少し楽に、楽しく笑顔に』
    2. 転機は学校の異動
    3. 年功序列により抑圧されるクリエイティビティ
    4. 短期的・中期的・長期的に考える
    5. 日々変わる子供たちの前で【tsuyoshi’s コメント】
  3. 顧客と向き合い欲張って考え成果を出す-浅谷治希さん(株式会社ARROWS)-
    1. 先生から教育を変えていく
    2. みんながWINになるように
    3. 教材開発にも力を入れる
    4. 目に見える成果を出すことの重要性
    5. 大学生・教員にとっての身近な課題と成果の在り方【tsuyoshi’s コメント】
    6. 自分 “だから” できることを探す【tsuyoshi’s コメント】
  4. 「挫折」「弱さ」と共に生きる「強さ」がある人が教員を続けられる道を-らぱん(センシティブティーチャーズ)-
    1. 職員室のすみっこの人
    2. センシティブティーチャーズの変化
    3. HSPは感受性が高い人の総称
    4. 教員の休職を取り巻く現状
    5. 「挫折」「弱さ」を知る「強さ」を教員として活かせるように
    6. “弱さ” とはなにか, “強さ” とはなにか【tsuyoshi’s コメント】
  5. 産官学連携で目指す教育改革-戸ヶ﨑勤さん(埼玉県戸田市教育委員会)-
    1. 戸田市の置かれている状況と教育改革
    2. 産官学連携での教育改革
    3. コロナ禍ではコンテンツよりコンタクトを
    4. 「個別最適」の考え方のアップデートを【tsuyoshi’s コメント】
    5. 行政や教育におけるエビデンスの活用への理解を深める【tsuyoshi’s コメント】
  6. 周りの人を幸せにしたい -じんぺーさん(TeacherAide)-
    1. TeacherAideの設立
    2. TeacherAideの目標
    3. TeacherAideLabの設立
    4. 教育に関する『知』をいかに集積し伝えるのか【tsuyoshi’s コメント】
  7. TeacherAideDay2020を振り返って

人と向き合う働き方改革-澤田真由美さん(先生の幸せ研究所)-

ワークライフバランスについて考えたことがきっかけ

澤田真由美さん『先生の幸せ研究所』から先生の支援に携わっている方です。

先生の幸せ研究所公式HPー学校の働き方改革
学校改革の圧倒的な実績! 学校を起点に幸せな社会を作ります♪

業務としては、学校専門のワークライフバランスのコンサルタントを手掛けておられます。

教員経験の後、現職に就き、現在は現場への支援に加えて行政の方へのアプローチも行っているとのことです。

 

家庭の ”ライフ” の部分では、プレゼンの末、夫が育児を分担してくれるように “教育” したそう。

『先生の幸せ研究所』では、働き方改革で疲弊しては意味はない、とのことで、【組織開発を軸にした対話型働き方改革】を行っているそうです。

 

教員当時は過労死ラインを超えるような働き方をしており、人間らしい生活を願う、といったような状況だったそうです。

そのような中で結婚を機に一度退職した後に一冊の書籍に出会い、複数の柱を持つことで、できることが増えていくという考え方に触れたそう。

当時、【仕事か生活か】をトレードオフであるように考えていたが、そうでないのかもしれない、ということに気付き、教員に復帰し、頑張って仕事と育児を両立させることにができるようになったとのことです。

 

働き方改革の目的は「未来を見据えて教育の質を上げること」

働き方改革の目的を澤田さんは「未来を見据えて教育の質を上げること」だと捉えておられるそうです。

そこで、働き方改革として事業を行っていく中でも、システム面の整備以外の、人と人の関係性の部分にも注力されてます。

例えば、教員同士の関係性の構築や、地域保護者の巻き込みを行うことによって、業務面での改善が見られたそうです。

 

3つの「助」を大切に

澤田さんは、働き方改革には3つの「助」で実現できると言います。

自助(個人)、共助(身内)、公序(公)

です。

このいずれかが欠けていても、働き方改革は実現することができないのだと、澤田さんは語ります。

 

そして「身近な社会を自分たちで変えられる」ことを実感し、“大人のPBL(Project Based Learinig)”として働き方改革を行っていくことが必要なのだ、ということを仰っていました。

 

教員と保護者のコミュニケーションの在り方【tsuyoshi’s コメント】

澤田さんの話の中から、教員と保護者のコミュニケーションについて話を広げていきたいと思います。

これまでの教育におけるコミュニケーションは、学校側からの一方的なものが主流でした。

「なぜ保護者は分からないんだ」という感情を抱いたことのある方もいらっしゃるかと思います。

しかし、コミュニケーションは双方向的なものです。

そのため、教員という専門家、子供の親という専門家同士のコミュニケーション、あるいは専門家から非専門家へのコミュニケーション、教員という専門家同士のコミュニケーションといったコミュニケーションの捉え方をする必要があります。

 

科学コミュニケーションの文脈では欠如モデルや文脈モデルといったモデルが扱われますが、保護者や教員のどちらか一方を無知と決めつけて行う一方向的な欠如モデル的コミュニケーションだけでは限界があります

もちろん、現状を知ってもらうという点では一方向的なコミュニケーションもあり得るのですが、その先に、相手の置かれた文脈を考えた、双方向的なコミュニケーションの両方が必要となるでしょう。

特に、教育はローカルノレッジ(現場の知)が教員の側にも、保護者の側にも醸成されています。

そういう意味で学校教育を取り巻くコミュニケーションは特別性を持っており、今後、コミュニケーションの在り方を考えていく必要があると感じました。

 

仮説・検証の継続を-宮澤悠維さん(宮澤悠維教育研究所)-

『学校の先生たちが、もう少し楽に、楽しく笑顔に』

宮澤悠維さんは小学校教員を経験し、現在は宮澤悠維教育研究所としてYoutubeでの発信を行っている方です。

宮澤悠維教育研究所
「学級満足度毎年9割越え」の学級経営術を1日1本配信しています。 宮澤悠維教育研究所の歩み 2020/01/01 動画配信開始 2020/01/31 チャンネル登録者100人 2020/02/27 チャンネル登録者300人 2020/03/20 チャンネル登録者500人 2020/04/24 【宮澤悠維教育研究所】開...

『学校の先生たちが、もう少し楽に、楽しく笑顔に』という想いを掲げ、活動を行っておられるそうです。

 

教員の「過重労働」について、時間・責任・不慣れといった側面がある中で、特に部活動、事務仕事、保護者対応、教材研究・学級経営での困難があることを感じていると言います。

 

転機は学校の異動

宮澤さんの転機は、異動を機に学校の先生をやめたいな、って思ったことだそうです。

 

移動先の学校はガチガチなシステムチックなやり方であり、授業のやり方を決められる、学級通信禁止、放課後の会議が4つくらい(午後21時スタートも普通にある)、といったような状況だったとのこと。

 

この経験を転機に、学校における労働について考えるようになったとのことです。

 

年功序列により抑圧されるクリエイティビティ

宮澤悠維さんは、時間外労働が必ずしも学校の先生の疲労感や多忙感につながっている訳ではないと言います。

 

「やりたいことができているか」「言いたいことが言えているか」といった、やりがいに直結するような部分が疲労感や多忙感につながっているとのことです。

特に学校は年功序列の場であり、若手の先生がいいたいことを言いにくいようになっているのが問題であると言います。

学校は基本的に同じサイクルの繰り返しであり、そのサイクルが変わらないから経験を積んで何回もサイクルを経験をしている人が偉くなっていく、という構造があると宮澤さんは分析します。

 

短期的・中期的・長期的に考える

〇短期目線

まず、学校のルーティーンを知る必要があると宮澤さんはいいます。「分からない」状態が「分かる」になることで、精神的に楽になっていくということだそうです。

 

〇中期目線

「”真” のベテランの先生を目指す」ことが中期的には重要だと宮澤さんは言います。

“真のベテラン” というのは、目の前の生徒を向き合う中で、仮説と検証を繰り返す教員、ということだそうです。

 

〇長期目線

今の若手の教員の方たちが管理職になったときのことを考えることが必要である、と宮澤さんは言います。

現在「教員の質の低下」が主張されていますが、仮にこれが真だとしたら、本当に厳しいのは今の若手の教員が管理職などについたときになる、ということです。

 

日々変わる子供たちの前で【tsuyoshi’s コメント】

「目の前の子供と向き合って仮説・検証を繰り返す」

これが宮澤さんの話で一番重要なポイントであったと思います。

 

つまり、目の前の子供は日々刻刻と変わる訳で、業務的には同じでも、本質的に同じことをやっているはずはありません。

その点を「同じ」と感じるのか「違う」と感じるのかが、教員としてクリエイティブにできてるかどうかの一つのラインとなることだと思います。

何年経験を積もうが、どれほど客観的な教育の知見が得られようが、向き合うことになる子供たちは常に状態が変わります

そのような子供たちといかに向き合うのか、ということが教員としてやりがいであり、専門性を問われる部分なのではないでしょうか。

 

話は少しわき道にそれますが、教員を目指す方は「質問の仕方」を体得していくことが大事だな、とも感じました。

途中、「分かる人いますかー??」っていう問いかけは分からない人からの発話の排除を仮定した悪問だ、という話がありました。

これは、授業の発問の中で工夫していくことはもちろん可能ですが、日々の生活の中で実践していくことが必要なのだと思います。

”質問はやらないと上手くならない” と自分はよく言っていて、実際その通りだと思います。質問をする側としても、問いかけ・受け応える側としても、質疑応答のやりとりの経験から、どのような質問をすればいいのか? 問いかけをすればよいのか?という経験を積むことは非常に重要です。

 

これはイベントの主催者や登壇者だけでなく、参加者にも必要な視点です。

例えば、今回のようなチャットに質問を書き込むような方式で、必ず何か1つ質問をするなど、ルールを自分に課してみる、などといった方法があると思います。

運が良ければ拾われますし、時間等の都合で質問が拾われなかったとしても、「質問を考える」という視点で話を聞くこと自体や、質問として言語化の経験を積むことに意味があると思っています。

 

顧客と向き合い欲張って考え成果を出す-浅谷治希さん(株式会社ARROWS)-

先生から教育を変えていく

株式会社ARROWS浅谷治希さんは、ベネッセコーポレーションに入社後、退社して株式会社ARROESを企業された方で、「先生から、教育を変えていく」をビジョンに活動されているそうです。

また、慶応義塾大学在学中にも起業を経験しておられるそう。

ARROWS
ARROWS公式サイト。ARROWSは、「先生から、教育を変えていく。」というビジョンのもと、教育の現場に飛び込み、21世紀の教育をリードしていく学校教育変革事業を行なっています。

株式会社ARROWSでは「SENSEIノート」「SENSEIポータル」といったサービスを提供しています。

 

そんな浅谷さんが大切にされている事柄が3つあるそうです。

1.徹底的に顧客を観察:困っている人の声に徹底的に耳を傾ける。

2.欲張りであれ:どちらか一方ではなく、両方を実現する方法を考える。

3.名刺となる成果を出す:口だけでは意味がないので、自分の名刺となるような成果を出す。

 

株式会社ARROWSは、学校・教育現場の課題とニーズを知ることができる会社で5万人の先生の声をデータとして蓄積し、5万人との対話を通して課題と解決策を発見する、ということを行っている会社です。

 

浅谷さんから紹介のあった「SENSEIノート」は自治体の垣根を越えて、教員の課題を集合知で解決するプラットフォームです。

コロナ禍で20倍以上のアクセスがあり、教員の方々がつながるプラットフォームとしての機能を果たしている様子が伺えます。

 

みんながWINになるように

みんなが勝つような欲張りな設計をした例として、1万セットのスタンプと学校向けフリー素材を配布した、ということがあったそうです。

まず、学校の先生方の需要を調査して、私費で買っているものとして「スタンプ」が挙げられました。

そこで、集英社とコラボして、ワンピースのスタンプを無料で配布したところ、全国の小学校から大きな反響があったとのことです。

 

教材開発にも力を入れる

株式会社ARROWSでは、教材を開発することにも取り組んでいるそうです。

例えば、『よのなか学』というGoogleとコラボした教材の作成や、感染症システムのオンライン研修会や誹謗中傷抑止の教材の企画・開発を過去に行ったそうです。

 

目に見える成果を出すことの重要性

浅谷さんは成果を出すことを非常に重視されていました。

成果は “名刺” となり、そこから次の案件へと繋がっていくとのことです。

「教育を変える」ということをビジョンに掲げられている浅谷さんにとって、成果を継続的に出し続けているということは印象に残るものがありました。

 

「課題は解決すればいい」「構造的に仕組みとして解決できる」など、講演中には浅谷さんの思考や思想が透けて見える発言が多々ありました。

最後に、話は逸れますが、株式会社ARROWSの方で学校の働き方改革事例集作成アシスタントや自治体への荷電アシスタントを募集しておられるので、興味のある方はチェックしてみてください。

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大学生・教員にとっての身近な課題と成果の在り方【tsuyoshi’s コメント】

浅谷さんの話は日々、浅谷さんが積み重ねている思考が透けて見える話だったと思います。

ただ、浅谷さんの話を聞いて、「浅谷さんスゲー」で終わるのはもったいないと思いますので、浅谷さんの話を大学生や教員の方にとって身近なところに置き換えて考えて直してみようと思います。

 

浅谷さんは、課題を適切に理解する、という点を重要視しておられました。

これは、大学生で特に研究に携わっている人からは共感を得ることができると思います。研究において、良い “問い” を立てることは非常に難しいですが、その分、良い “問い” を元にした研究は良い結果が得られることが多いです。

また、現場の教員の方にとっても、目の前の子供と向き合い、課題の本質を捉えることは非常に困難で重要でしょう。

(少し話から離れますが、社会学や哲学といった分野は、社会の中で課題が発生する文脈や、課題を取り巻く状況について記述・説明することに長けた分野ですので、そういったところの人文系の学問価値がより社会の中で受け入れられるとよいなと個人的に思っています。)

 

また、「成果」を出せという話がありました。これは、『やろうとしていること(目標)に対して、適切な期間や規模を設定し、達成し、積み上げていくということだ』、と自分は解釈しました。

表面的な数字を短絡的に成果として求めるのではなく、自分の目標に対してどのような成果を出すべきなのか、を考えていく必要があります。

大きな目標があるとしても、それにいきなり取り掛かることはできません。その前段階で行っていることを成果として積み上げ、「○○さんはこういうことをやっている/できる人なんだ」と認識してもらうことが必要だ、ということでしょう。

例えば、教員を目指す方であれば「教員免許を取得する」というのが一つの名刺となる成果でしょう。様々なことを日々考えている人であれば、こうやって文章を書いたり話したりすることを積み重ねることは成果でしょう。

教員の方であれば、先生同士の中で「○○ができる人なんだ」と認知してもらうような成果を出すことかもしれませんし、学級通信等を通して保護者の方に「子供のことをしっかり見てくれているんだ」という成果を出していくことが必要だ、ということです。

 

自分の目的にあった本質的な成果をいかに出していくか、そしてそれをどう見せるのかが大事だと言えると思います。

 

自分 “だから” できることを探す【tsuyoshi’s コメント】

浅谷さんの「人のできないことをやる」「そういう所に頭を使う」というスタンスは非常に重要な点だと思います。実際に、浅谷さんが出されている成果は浅谷さんの苦労や積み上げがあったからこそ、できた成果なのだろうなと推察いたします。

ただ、浅谷さんのように考えることが得意な人もいれば、考えることが苦手な方は確実にいると思います。

そこで、そのような方に対しての1つのマインドセットの在り方を提案しておこうと思います。

それは、自分 “だから” できることを考える、ということです。

 

自分しか●●できないことじゃなく自分だから●●●できること探しな。ないよ 世界で唯一の個性なんて 私たちの発想も性格も絶対誰かと被っている

引用:一二三, Now playing, Scene28, 句点は下平が加筆

 

“自分は何者なのか” を考える際にアイデンティティキャピタルという考え方がありますが、それに似た考え方です。(アイデンティティキャピタルは浅谷さんの「成果」の話と繋がります。)

インターネットの出現によって多くの人の存在を気軽に感じることができるようになり、また人とのつながりが薄くなったことも相まって、他の人と比べて自分は何もできない、と感じる人もいると思います。

しかし、自分が生きてきた文脈はその人自身にしかないものですし、その組み合わせの人生を経験している人はその人だけです。

今まで人生で様々な経験や成果を積み、だからこそできることは何か、という視点で物事を考えることは非常に重要だと思います。(力が強い人は建築業で活躍できるかもしれませんし、繊細な作業が得意な人は細かい細工が必要な作業で活躍できるかもしれません)

 

そうやって何をできるかを考え続けた先に、人にできて自分ができないことという、自分を相対化して考えることができるようになっていくのではないでしょうか。

 

ちなみに、自分はひとまず “「問い」を立てる” や “様々な文脈から物事を記述・説明すること” ができるようになることにかなりウェイトを置いています。

ですので、問いを解決するのは誰かにある程度任せようかな、というスタンスです。

 

「挫折」「弱さ」と共に生きる「強さ」がある人が教員を続けられる道を-らぱん(センシティブティーチャーズ)-

職員室のすみっこの人

らぱんさんは職員室のすみっこの人、今休職してる人です。

センシティブティーチャーズを立ちあげられた方でもあります。

「絶望の中の希望」があるはずだと、日々活動に取り組まれています。

中学校教員/休職中/リワーク/図解/繊細さん 等がらぱんさんの状態を示すものだそうです。

図解は様々なコラボも行っているとのことなので、もしかしたららぱんさんの図解を目にしたことのある方もいらっしゃるかもしれません。

 

”学校って理不尽すぎない!?”からスタートし、紆余曲折を経て、現在の活動に至っています。

 

センシティブティーチャーズの変化

らぱんさんはセンシティブティーチャーズを設立されましたが、その歩みにも段階があったそうです。

具体的には、

①しんどい人の相談を聞いてどうにかしたい

②専門家の方々から講話を聞く

③メンバーと一対一

というような変化があったとのこと。

繊細さを抱えた方が、勇気を出して「一歩」踏み出せる場所を目指しておられるとのことです。

 

HSPは感受性が高い人の総称

HSP(Highly Sensitive Person)とは、感受性の高い方々のことを指す言葉です。

HSPの方々はDOESという、次のような特性を持つと言われています。

D(Depth of processing):処理の深さ

O(Overstimulation):刺激を受けやすい

E(Empathy and emotional responsiveness):感情反応性・高度な感受性

S(Sensitivity to subtleties):些細な刺激に対する感受性

引用:らぱんさんの講演スライドより

 

高い感受性を持つことは、子供と関わる場面をはじめ、教員として活かせる強みでもあるとらぱんさんは言います。

一方で、繊細さが災いすることで、職員室や対人関係などで悩みを抱えることが多く、その強みを活かすことができてない現状があるそうです。

 

教員の休職を取り巻く現状

教員の休職について、らぱんさんは以下のような現状があると分析しています。

①情報が得にくい

②休みにくく、復職しにくい

③周りの理解が得にくい

 

このような状態が、休職という選択制を考える際の課題となっているそうです。

それもあって、今はメンタル疾患は初期に適切な治療やケアができれば回復できますが、休みにくさのために重症化してしまう教員の方がいらっしゃるとも述べておられました。

 

「挫折」「弱さ」を知る「強さ」を教員として活かせるように

らぱんさんは、「挫折」「弱さ」と共に生きる「強さ」がある人が教員を続けられる道を模索したいと考えているそうです。

 

そして、最後をこのように締めくくっています。

繊細さはよわさじゃない”はず”

休職や退職は「終わり」じゃない”はず”

どんな絶望の中にも「希望」はある”はず”

引用:らぱんさんの講演スライドより,一部改変

この「はず」を取りたい、というのが、らぱんさんの目指す未来だそうです。

 

“弱さ” とはなにか, “強さ” とはなにか【tsuyoshi’s コメント】

らぱんさんのお話の中では、”弱さ” や “強さ” という言葉が出てきました。

そもそも、”弱さ” や “強さ” とは何なのでしょうか?

ヒントを得るために、らぱんさんの本日の講演に加えて、いくつか “強さ” や “弱さ” を描いた作品の描写を見てみましょう。

 

(インターハイ予選で負けた高校生に対して)確かに負けました。でも実りある試合だったのでは? ”負け” は弱さの証明ですか? 君達にとって “負け” は試練なんじゃないですか? 地に這いつくばった後 また立ってあるけるのかという。 君たちがそこに這いつくばったままならば それこそが弱さの証明です。

引用:古舘春一, ハイキュー!!, 第69話, ()部と句点は下平が加筆

(成績を上げたいが他のことに手が伸びる相手に対して)人間、生まれや育ちで脳の仕組みに差異が出る。当然のように勉強が苦手な脳の人もいて 別のことが得意だったりする。(中略)貴方は学力画一評価の中で不利な立場にいるだけ。それを根性なしとは呼ばないわ。

引用:赤坂アカ, かぐや様は告らせたい, 第198話, ()部と句読点は下平が加筆

 

他にもまだまだありますが、2つピックアップさせていただきました。

本格的な議論に入る前にもう少し “弱さ” と “強さ” のイメージを掴むために、それぞれの英語を考えてみましょう。

“弱さ” は、weakness/frailty/delicacy などといった言葉が、”強さ” は、strength/power/intensity/strongness などといった言葉が挙げられます。

 

こうしてみてみると、“弱さ” や “強さ” は文脈によって異なり、更に非常に曖昧であることが分かります。

更に言うならば、“弱さ” や “強さ” というのは相対的であり、恣意的なものであるということができるでしょう。

“さすがにこれはみんな弱い/強いと思うだろう”という事もあるかもしれませんが、それはあくまで、生きている文化圏(読者の多くは日本文化)の中で暗黙の内に了解されている何らかの前提の上で、弱さ/強さを判断しているということです。

HSPやLD(Learning Disability)などを語る際にも、それと対比する “普通(Normal)” を暗黙に仮定していると言えるでしょう。これは学術的に人の持つ共通の性質を探究する際には役に立つ区分ではありますが、一人の人間として人と向き合う際や、行政等が学術的な文脈から離れてその言葉を使うときには、社会的な暗黙知を形成するバイアスにもなり得ます

 

そのような中で学校や社会における “弱さ” や “強さ” を考えるということは、自分たちが置かれている文化ではどのような価値観が前提として共有されているのか、ということを同時に考える必要があります。

そのうえで、多様な “弱さ” や “強さ” を受容し、共存することのできる社会や文化の形成を図っていくことが必要なのではないでしょうか。

 

いきなり社会や文化の価値観を一変させる、といったことは、災害や感染症といった超人的出来事がないと困難です。であれば、一度 “弱さ” の中で挫折をしたとしても、再び立ち上がることのできる環境を作っていくことを、セーフティネットとしてだけではなく、社会の中の日常としてあるような状態にすることは一つの手段であるように思えます。

 

最後に、余談になりますが、センシティブとカタカナで聞くと、”繊細な” という印象を受ける人は多いと思います。しかし、“Sensitive” という言葉には、繊細さというニュアンス以外にも、”感知する” “反応できる” といったニュアンスが含まれています。

そういう、言葉から無意識に受けるバイアスもあるので、今回の議論のように、日本語と英語で物事を考える、ということは是非試してみてください!

 

産官学連携で目指す教育改革-戸ヶ﨑勤さん(埼玉県戸田市教育委員会)-

戸田市の置かれている状況と教育改革

戸ヶ﨑勤さんは、埼玉県戸田市教育委員会の方で、行政の立場から教育改革に携わっている方です。

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講演の最初に、まずは戸田市の状況についての説明がありました。

戸田市は人口増加が止まらず、教員不足や校舎の老朽化が起こっているとおっしゃっていました。また、教室予算の多くがハコモノになってしまっている点も挙げておられ、更に学力や体力、非行問題や不登校といった問題を抱えていることも述べておられました。

 

このような状況にある戸田市で、以下のようなコンセプトで教育改革を進めたとそうです。

・AIでの代替は難しい力などの育成
・産官学と連携した知のリソースの活用
・「経験と勘と気合い(3K)」から「客観的な根拠」への船出
・教室や授業を科学する

日本のこれまでの教育を捉えなおし、質的転換を目指してこのようなコンセプトを掲げた、と戸ヶ﨑さんは言います。

 

産官学連携での教育改革

戸田市では、産官学で連携することで先端技術や知のリソースを活用し、学びの効率化や質の向上を目指していると戸ヶ﨑さんは述べておられました。

そして、産官学が連携を可能とする要因として

1真の協働者

2EBPMの効果検証の基盤

3学校や教室を実証の場(Class Lab)として提供

4情報発信

があるのではないか、と提示されていました。

 

特にEBPM(Evidence-based Policy Making)の重要性を強く語っている様子が印象的でした。

また、タブレットをはじめとしたICT機器を活用することで、働き方改革、「一人一台」を活かした学びの実現や「個別最適な学び」を目指すことに意欲を見せておられました。

 

コロナ禍ではコンテンツよりコンタクトを

コロナ禍での対応については、「コンテンツよりコンタクト」を大切にするように進めていた、とおっしゃていました。

少しでもいいから生徒と先生の関係性を構築することが大事だと考えておられたとのことです。

 

「個別最適」の考え方のアップデートを【tsuyoshi’s コメント】

教育改革の中で「個別最適を目指す」という話がありました。

生徒一人一人に合った学びを提供する、ということを理想として掲げている方もいらっしゃるかと思いますが、同時に現状の教育現場で実現することに困難を感じている方もいらっしゃるかと思います。

そのような方は「個別最適」に対して、その子に合わせた学びを1から10までそれぞれの子供毎にデザインして最適化する、という印象を抱いているのではないかと推察します。

 

そこで、最適化の議論が古くからされてきた工学での最適化の議論を踏まえつつ、教育において目指すべき個別最適の姿への道筋を提示したいと思います。

 

まず議論の前提として、工学では “少品種大量生産” から “多品種少量生産” へと生産の主流が変化してきたことを押さえておいていただきたいと思います。

つまり、同じものを大量生産していく時代から、違ったものを早いサイクルで商品を入れ替えて生産していく時代へと変化した、ということです。

この生産体制の変化は工学の中でも大きな出来事でして、それに伴って生産に関する工学理論も大きな変化を見せました。

 

ここで参考になるのは “多品種少量生産” における理論です。その例を紹介したいと思います。

多品種少量生産をいかに効率的に実現するのか、ということに関する理論として、「モジュール化」というものがあります。

モジュール化とは、あらかじめ用意した部品やパーツを組み合わせることで、新しい製品や部品を作成する方法の事です。

この手法のメリットは、あらかじめ用意された部品やパーツは決まっているため、その部品やパーツを作ることにはコストがあまりかからない、という点になります。

他にも、内部の構造が同じにして、外側の装飾や機能を個別化する、といった方法もあります

 

これらの考え方を教育現場における個別最適に落とし込んでいこうと思います。

まず断っておきたいのですが、生徒全員に対する1から10までの個別最適を実現することは学校現場のリソース的にはほぼ不可能だ、ということです。

全く異なるものを1から10まで提供するとなると生徒ごとに教員がほぼつきっきりで対応する必要がありますし、全員の生徒に対してそれを行うことは不可能です。

 

そこで現実的な提案として、ある程度の軸・基盤となる部分を共通のものとして設計し、その先の発展の仕方を個別化していく、ということを提示させていただきます。

例えば、「プラモデルを作る」という授業があったとします。そして、授業の最終目標を、「全員がプラモデルを組み立てる」とするとします。

この時、学校の授業としては、プラモデルを組み立てることが苦手な子に合わせた授業を行うことになると思います。

一方で、プラモデルを組み立てるのが得意な子は早々に組み上げています。そのような子が物足りなさを感じるというのが多くの学校現場で悩みを抱えている状態なのだと思います。

この時に、プラモデルを組み立て終わった人が次にすることをモジュール化して、個別最適を目指していく、という考え方をします。

プラモデルを組み立てた後の色を塗る作業や面取りの作業、あるいはプラモデルを置く場所を作る作業などといったものを用意しておき、それを子供たちのそれぞれの文脈に合わせて与えていく、ということです。

 

このように、全体として進める基盤・軸となる部分とその先を分けることで、共通で行う部分と個別最適を図る部分を区別することができると思います。

もちろん、基盤・軸となる部分がどこなのか、という議論は必須ですし、個別最適のためのモジュールをどう用意するのか、という議論もあります。

ただ、個別最適用のモジュールとなるような教材については、様々な企業や行政でタブレットを活用した教材の開発が進んでいますので、それを活用していくのがよいと思われます。

また、モジュールを個別最適になるように組み合わせることについても、教師が全て行うのではなく、例えばそれぞれの生徒の学びを記録したポートフォリオと機械学習を組み合わせることで負担を軽減することができるようになるのではないか、と考えます。

しかし、やはりどのような教材(モジュール)が良いか、あるいは機械学習の結果、個別最適として提案されたものが本当に生徒の実情にあっているのか、などといった部分を判断する際には教員の方々が、生徒と日々向き合う中で培ってきた経験や知見が不可欠であるとも感じます。

 

行政や教育におけるエビデンスの活用への理解を深める【tsuyoshi’s コメント】

行政や教育へのエビデンスの活用が近年着目されており、戸ヶ﨑さんの講演でもEBPMという言葉が出てきました。

教育の文脈においてはEBEという言葉も聞くことが増えたと思います。

しかしながら、EBPMやEBEがよく分からないという方や、エビデンスをどう捉えればよいのか分からない、という方もいらっしゃったと思います。

そこでここでは、EBPMやEBE、エビデンスについて知る足掛かりとなる事柄について書いていこうと思います。

 

EBPMはEvidence-based Policy Makingの略でエビデンスに基づく政策立案、EBEはEvidence Based Educationの略でエビデンスに基づく教育のことを指します。

平たく言えば、学術成果として得られた知見をエビデンス(根拠)として、政策立案や教育に活用することで、よりよい政策の実現や教育を目指す、というものになります。

 

このEBPMやEBEについて理解を深めるためには、どのようにしてエビデンスが形成されるのか、といった部分への理解が不可欠です。

エビデンスの形成は、学術的な研究や調査、分析によってなされます。

このエビデンスの信頼度は、調査の対象とした生徒の規模やランダム性に大きく左右され、生徒の規模が大きく、ランダムな生徒を対象にしたエビデンスの方が信頼度が高いとされています。

 

現実には、教育におけるエビデンスは扱いが非常に困難です。

例として、ある学校の1クラスを対象としてエビデンスを形成する、というケースを考えます。

ここで、調査の対象は1クラスであり、母数をその学区や都道府県、日本全国と仮定したときに、非常に少ない数であるといえます。調査の対象が母数に対して少ない場合、調査の対象の偏り(学区や地域の特性など)が最終的なエビデンスの形成に大きな現実からの誤差を与える可能性が考えられます。

また、調査の対象を1クラス選ぶ、といっても厳密にはランダムに選んでいる訳ではありません。調査の対象は多くの場合、研究的な実践を行っている先生の生徒に限られます。その点でも完全にランダムに生徒を選んで調査をしている訳ではないので、対象とする生徒の選び方がエビデンスの形成に影響を与える可能性が考えられます。

 

また、エビデンスは質的なエビデンス量的なエビデンスがあります。

質的なエビデンスは、学校や生徒で起こった現象やそれを取り巻く状況を記述・説明する類のものです。もう一方の量的なエビデンスは、グラフ等を用いて示されるエビデンスになります。

エビデンスと聞いて多くの人がイメージするのは量的なエビデンスかと思いますが、量的なエビデンスの扱いも注意が必要です。

「定量化する」ということは、何らかの指標を設定する、ということです。そのため、この指標が適切なのかを考える必要があります。(学校の成績をつける際に先生方がその指標に関して悩まれることからも想像ができると思います)

また、定量化されたデータに差があるのか、ということをいくつかの仮定を置いて検証する手法として仮設統計検定というものがあるのですが、そこでも適切な仮定を設定できているのか、ということを考える必要があります。

 

以上、簡単にはなりますが、EBPMやEBE、エビデンスについてでした。

割愛した部分もかなりありますが、これを足掛かりとして、エビデンスの扱いについて考えていっていただければと思います。

 

周りの人を幸せにしたい -じんぺーさん(TeacherAide)-

TeacherAideの設立

最後はTeacherAide共同代表のじんぺーさんです。

今回のイベントを主催・企画した団体の発起人でもあります。

じんぺーさんがTeacherAideを立ち上げるきっかけとなったのは、教員になった周囲の人達が、学校の教員生活を送る中で “変わっていく” 様子が気になったからとのこと。

希望を持って教員になっていった周囲の友人が、疲弊していく様子を見て、その人達を助けたい、という想いから発足した団体です。

https://teacher-aide.com/

 

TeacherAideの目標

このような経緯で設立され、活動を行っているTeacherAideは次のような目標を掲げておられます。

①教員(志望学生)の意識改革

閉鎖された学校、教員養成大学に風穴をあけることを目指しておられるそうです。

具体的には、大学ではあまり学ばない学校や教員を取りまく法律や制度を知ることで、現状へ疑問を持つこと、変えるという意識を持つを目指しているそうです。

 

②教育を社会の関心事に

教育を「社会」という文脈から捉えなおすことを目指しているそうです。

アイリボンの作成などを通して、教育は社会全体で行う営みという認識を浸透させていくことを目指しているとのことです。

 

③愛にあふれるコミュニティの創造

人と人のつながりが心の支えにできる組織を目指して、ゆるく手軽に参加できる組織を目指いているとのこと。

“やりたいことだけ”だからこそ超受容的な組織を実現できている、とおっしゃっていました。

 

TeacherAideLabの設立

これまでのゆるさと手軽さに加えて、実質的な「インパクト」が欲しいとのことで、TeacherAideLabを設立されたそうです。

TeacherAideとして持つネットワークを活かして、教育に関する研究を行うシンクタンクを目指しているとのこと。

 

第1回調査では、教員を目指す大学生が不安に思っていることについての調査を行ったそうで、その結果についての発表がありました。

調査は働き方への不安、業務内容への不安、不透明性への不安の3つの指標についてそれぞれ質問を用意して行ったそうですが、働き方への不安と業務内容への不安が大きい可能性が調査の結果示唆されたようです。

 

また、興味深いことに、働き方への不安、不透明性への不安が多いほど、現在の教員になる可能性が低くなる可能性の示唆もあったとのことです。

さらに、給特法という法律を知った教職生ほど、教員になりたい度合いが減少したという傾向も見られたそうです。

 

教育に関する『知』をいかに集積し伝えるのか【tsuyoshi’s コメント】

ここからは、TeacherAideLabやその意義、そして可能性や展望について考えていこうと思います。

 

TeacherAideLabが目指しているのは、教育に関する開かれたシンクタンクだと自分は解釈しています。

シンクタンクというと専門家たちが様々なことを議論して、意思決定の材料となるデータやエビデンスを集積していく、というようなことをイメージすると思います。

実際、世の中の多くのシンクタンクはそのような形態であり、そこから発表されるデータ等は多少なりとも学術的な形式に則っています。

 

しかし、論文や学術書など、学術的に書かれたものを読むには多少専門的なトレーニングが必要です。

可能であれば少しトレーニングを積んで論文や学術書にも手を出してみてほしいと思う事はあるのですが、全ての人にそれを求めるのは酷だと思います。(自分も別分野の論文や学術書を読むときは苦労していますし)

 

これは、教育が全ての人にとっての関心事であるはずだ、という文脈から、教育に関する研究を離れたものとして感じさせる要因であるように思います。

これらを踏まえた上で、TeacherAideLabが目指すことのできる1つのシンクタンクの形として、市民が支える教育に関するシンクタンク、市民参加型のシンクタンクがあるのではないかと考えます。

 

市民参加型の知の在り方は、在野研究や科学コミュニケーションにおける市民参加モデルでの議論がありますが、今回提案させていただくのは、その教育シンクタンク版です。

 

教育に関して、学術的な解釈に長けた研究者や専門家だけが問いを立てて提案をするのではなく、教員の方々や保護者の方、その他の全ての教育に関わる方々が、それぞれの立場から教育について考えたことを集約し、それをシンクタンクとして活用していくことが可能であると考えています。

またこれを受けて、TeacherAideLabとしても新たな問いのもとに調査や提案を行うことが可能になると考えます。

 

これは、教育に関心のある方々に支えられているTeacherAideの活動形態にマッチしたものなのではないでしょうか。

 

自分はTeacherAideの人間ではありませんが、TeacherAideLabの発展の仕方によっては、今述べたような可能性があると考えています。

 

TeacherAideDay2020を振り返って

TeacherAideDay2020には、様々な視点から教育を捉えるきっかけとなる視点がたくさん含まれていたと思います。

そして、このイベントレポートを通して、教育に関する更に様々な視点を追加で提示してきました。

人によって響くトピック/比較的響かないトピックがあったと思いますが、響いたトピックからでも教育を捉えなおしてみてほしいと自分も思います。

また、あまり響かなかったトピックであったとしても、「教育という営みにそのような文脈を載せることができる」ということを一旦受容してみてください。そういう文脈から教育に関わる人の存在を認めてください。そして、思考の余裕があるときに、少しでも自分の文脈や状況から考えてみてください。

 

自分は教育を『人が本能や欲求に基づいて自らの持つ知を他者に伝達する行為』と定義していますが、その上に乗っている社会や制度、環境的な文脈は多種多様であり、非常に複雑なものになっています。

今回のようなイベントを通してその複雑性を体感し、そのことを受け入れることが、教育について深く考えるための道なのだと自分は考えています。

 

最後になりましたが、登壇者の方々および主催・企画された方々に深く敬意と感謝の意を表しまして、このイベントレポートを締めくくりたいと思います。

コメント

  1. 中山 弘 より:

    すごいレポートですね!
    多彩な登壇者の様々な視点が盛り込まれた四時間のイベントを、引用まで含めて詳細にアップしていて素晴らしいです!
    しかも、一日足らずの間にこれだけのボリューム。

    感服しました。

    せっかくのレポートなので、より多くの人が見れるように、あちこちでPRしたら良いと思います(#^^#)

    • tsuyoshi より:

      コメントいただきありがとうございます!少しでも多くの方の思考の糧になれればと思い、執筆させていただきました。
      自分の方でもPRしてみますが、自分の宣伝力では限界がありますので是非他の方に宣伝していただければ有難く存じます。

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