学校現場での変形時間労働制、その是非は?-西村氏の国会提案から考える教員の仕事-

tsuyoshiの頭の中

2019年11月28日、給特法改正案審議中の参院の文教科学委員会に、学校現場への変形時間労働制の導入に反対する西村祐二氏が参考人として呼ばれ、西村氏は変形時間労働制の導入への懸念を述べた。

その中で、どうしても変形時間労働制を導入するのであればという前提で、変形時間労働制の運用に歯止めをかけるために5つの提案を行った。

 

西村氏が行った提案とはどのようなものであったのだろうか?

順に見ていこう。

関連記事「国の想定超え暴走」現職教員が変形労働の参考人質疑で

 

西村氏が提示した5つの提案

1. 自治体が変形労働を導入する前に必ず勤務実態調査を行うこと

事前に勤務実態調査を行い、月45、年360を超える残業があった場合の変形時間労働制の導入を不可とするもの。

長時間労働を是正するための法案なのだから、そもそも残業が多すぎる場合には変形時間労働制の導入は害にしかならないという考えのもとだろう。

 

2.どのような場合に変形労働を加えられるのかを明記する

1日8時間労働が原則であり、大幅な年5日以上の変形が加わらないようにするための提案。

超勤4項目のように変形時間労働制の条件を明記することを求めている。

 

3.部活動顧問を望まない教員に職務命令で顧問を押し付けられないようにする

変形時間労働制導入により定時が伸びれば、今まで「定時だから」と断ってきた部活動の時間が定時内に収まることが可能になり、部活動顧問を断る理由がなくなる。

これを防ぐために部活動顧問の押し付けが不可能であることを明記し、さらに学習指導要領の部活動について「学校教育の一環」という文言を省くことを求めている。

 

4.授業準備も労働であることを明記する

教員の授業準備が学校業務に入るか入らないかという議論に対し、授業時間が労働時間に入ることを明記することを求めている。

 

5.定時後の残業に歯止めをかけ責任の所在を明確にする

残業は管理職が命じた労働であるなど残業の責任の所在を明確にし、それが上限を超えた場合は管理職に罰則をつけることを求めたもの。

そして、残業を労働として認め教職調整額の増額によるのみの決着は認めないとしている。

これにより際限のない残業の追加に歯止めをかけるというのが提案の狙いだろう。

 

提案については以上である。

合わせて西村氏のツイートも参考にしていただきたい。

この提案の是非を考えるには、「学校教員の業務の本質は何か」という点を考えなければならない。

そもそも学校教育に何を求めるのか、考えていこうと思う。

 

そもそも学校教育に何を求めるのか

業務を追加するための改革ではない

大前提として、学校現場の変形時間労働制の導入は業務の追加をするためのものではない

にも関わらず、学校現場からは業務が増えることが懸念されている。それは今まで国が様々な制度を「悪用」してきたことが分かっているからだ。

 

『「変形時間労働制」で決めたから』というような理由で職務を追加し続ける姿は、教育現場の現実と本質とはそぐわない。そして、西村氏の主張は職務の際限のない追加に歯止めをかける制度設計を求めているように受け取ることができる。

では、そもそもなぜこのような姿が教育の本質とはそぐわないのか。その理由を述べていこうと思う。

 

漫画やドラマはフィクション

当たり前だが、漫画やドラマはフィクションである。

にも関わらず、それらのイメージを現実の学校に押し付ける人は少なくない。

部活動も例にもれず、子どもたちが頑張って朝昼晩毎日練習して努力して結果を出すフィクションストーリーはウケる。

実際、自分も「あひるの空」「この音とまれ!」といった学校の部活を舞台にした作品は好きだ。

ただ、これらの作品で描かれているようなことが現実にすべての学校でできるかと問われれば、そうではないと考える。

 

(漫画のような部活動がしたければ、大学で部活動をやればよい。自己責任で、好きなだけ熱中することができる。)

 

教える側が分かっていないと教えられない

教育現場での近年の大きな変化として、英語教育やプログラミング教育が導入されることが挙げられる。

平たく言うと、英語やプログラミングの技能は今後の社会で必須となる能力だから学校で教えようという意図だ。

そして、これらの導入に向けての動きでも学校現場で大きな混乱があったことは記憶に新しい。

このケースで露呈した事実は、「教える側が分かっていないと教えられない」という本当に当たり前の事実である。

 

新しいことは増える、だが教える時間は有限

時代の流れや科学技術の発達によって社会が変化していくことは当たり前のことで、それに伴って社会の側からすると「教えたほうがいい内容」は増えていくに決まっている。

ただ、子どもが教育を受ける時間は有限である(当たり前のことだが)。

時間は有限なのだから教える内容についても優先順位をつけて教えざるを得ない。

そして、本当に何を教えるのかという点は文科省は勿論だが現場の教員も考えていく必要がある。

子どもたちと直に接している教員が、一番目の前の何を教えたらその子にとっていいかを考えられる立場にいるのだから。

 

「新しいことのインプット」は業務の一部

これを考えるためにも、教員にも相応のインプットで、教員が社会や技術について「分かっている」必要がある。

つまり、学び続けることが教員にとって大事であることは文科省や教員養成課程でよく言われるが、それは個人の姿勢の話だけではなくて、教員の業務として必須のことである。

(例えば、研究者が自分の研究のために論文を読んでいてそれを「勤務に含まれない」というだろうか?いや、きっと言わないはずだ。)

授業準備もそのために必要で、学問における常識は常に更新されている。特に政治経済のような時事と直結するような分野ではそれ自体が授業の題材となりうるだろう。

このように、教員にとって「新しいことのインプット」が必要不可欠である。

 

「余裕」があって「抜け道」のない制度設計を

以上の議論を踏まえると、西村氏の提案は至極当然のように思えるものである。

 

仮に学校現場に変形時間労働制が適用されるのであれば、子どもたちの状況や社会情勢などに対応するための「余裕(余白)」を残すことができる制度設計が必要である。

 

ただし国や自治体にとって、「抜け道」を残すための制度設計をしてはいけない。この点を妥協してはいけないし、「変形時間労働制」が学校教育を豊かにするか腐敗させるかはこの点に懸かっているように思う。

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